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またいずれ改めて私のプロフィール詳細を書こうと思いますが、私が整体師にデビューした時は、そりゃもう先輩から怒られまくってました。「怒られる的になる人」っているでしょ?おとなしく素直に言うことを聞く人に多いのですが、僕はまさにそれに該当したんですね。

毎日、毎日、怒られる。しかも殆どが「理不尽な説教」なんですよ。半年間怒られ続けました。
ストレスで胃が痛くなって、心底、職場に行きたくないと思う。いま現在、そういう状況にある人がいるかもしれませんが、私もまさにそれを体験したことがあります。
 
私なんて、整体師にデビューしてから、最初の半年間なんて、お客さんが全くつかなかったんですよ。誰にも指名されませんしね(笑)施術した人が施術終了後に全員「もう来ません」って言うんですから、そりゃ怒られますね。
  
・・・で、どうしたか?
 
ある日のことでした。怒られて、怒られて、本当にね、怒られ疲れたんです。それで、もう、怒られることに対して「悔しい」とか「悲しい」とか「負けるか」とか、いちいちリアクションを取ることが面倒くさくなったんですよ(笑)・・・なんか飽きたんです、その状況に。
 
それである日、いつものように怒られている時に「相手の怒りの感情は無視して、言っていることをただただ素直に聞こう」と思ったんですね。すると、先輩が怒ってきて、いつもなら残念な表情で話を聞くのですがそれをやめて「ああ、なるほど、分かりました」って聞いたんです。すると、先輩は、「あ、ああ・・・まあ、わかりゃいいんだよ」って、その日以来、怒らなくなりました。
 
 怒られなくなると施術にようやく集中できるようになり、怒られなくなった次の日から、患者さんに毎日指名されるようになりました。その変化は、2つ同時にバシっと起こりました。あまりにくっきりと線を引いたように状況が変わったので、非常によく覚えています。
 
私はその時、「うまい怒られ方」ってのを覚えたのでした。

みんな頑張ってるのは分かるんですよ。当時の私も頑張ってました。怒られたら、また頑張るでしょ。そしたらさらに「私だって頑張ってるんでよ!」って言いたくなるのね。

でもね、一番最初にやることは、一回、自分が「折れる」ことなんですよ。
私はそれ以来、新しいことを学ぶ時にいつもそうしますが、「自分も多少できるぞ」みたいな変な自信を学びの場に持っていかない。そんなちっぽけな自信は、パキっと折った状態で臨むんです。若い頃にそれを経験上、身につけておいて本当に良かったと思います。

例えば、何か新しい学びの場に行くとしますでしょ。で、その場に居合わせる他の人たちもいる。で、新しい話がなされるときにね、「なるほど、なるほど」って聞いている人は正解です。中にね、必ず「はいはい、そうですよね!」・・・っていう返事をする人がいるんですけど、「あ、この人、聞けてないな」って思います。自分は分かってるってことを「言いたい」だけなんです。

人間は「吸収」と「排泄」は同時にはできない。だから「聞く」ことと「言う」ことは同時にはできないんです。「聞くべき時に言っちゃってる」わけなんです。

人間ってね、「人の話を聞けなくなったら終わり」です。僕はね、年寄りをたくさん施術してきたから、それがはっきりと分かる。人生が終わるわけじゃないですが「成長」が終わるんです。

冒頭に載せた写真は、ケミカルライトです。
パキっと折ると、光が灯ります。それと同じ原理で、最初に折れないと本当には光りません。
 
怒られた時にね。「ちくしょー」「悔しい」「ちっ」「けっ」「むかつくなー」「なんだよあいつ偉そうに」「ああーー」「きーー」・・・これらのことを言ってる内は、飛躍的成長は無理です。

年をとるとなかなか折れられなくなるかもしれません。だから若い人は、早いうちに折れといた方がいい。それがね「自分が受け取る学びに対する敬意」なんです。相手に頭下げているようで、深いところではそうではないんです。「自分の人生が自分にもたらしてくれる学びに対して、敬意を払う」ことになるんですね。

「怒られ上手な人」
「怒られることの本質を理解している人」
僕は正直、ほとんど出会ったことがありません。

怒ることって、実は相当な「親切」なんです。怒るのはエネルギーがいります。私も見込みのある人には試しに怒ったりします。だけど、なかなか折れられないですね。たった一回の怒りでグラグラと揺らぎ、折れられもせずせいぜい凹む程度です。

「凄いチャンスなんだよ」って心の中で思っています。昔、「誰もが福井先生のようにはいかないんですからね!」って言われたことあります(笑)「それは違う」って思う。自分が23歳の頃に体験したから折れることの良さを知ってるんです。


最近、私を訪ねて来られる方に言うんですけどね、私、施術業、もう上がってるんですよ。

施術って言っても色んな種類があるよね、色んな技術がある。

だから施術家の多くは、「施術は深いし一生修行」って思うかもしれませんけど、施術家のやるべき範囲は、実は既に「社会的期待値」によって決まってますよ。

社会的期待値によって決まっているというのは、お客さんの視点や社会の視点からして、施術業者に期待することや任せたい仕事や、求めるものというは、これはもう決まってるんです。そういう限られた範囲がある。

もちろん、それ以上、とことん掘り下げたっていいですよ。僕も異常な深さまでとことん掘って、突き抜けましたけどね、その経験から言うと、ある程度の以上の深い話は、まあ自分の趣味の範囲と思っていた方がちょうどいい。たまに深すぎて自分が言うことが分かってもらえなくなる人いますけど、「わかるわけねーだろ」ってのが世間の声ですよ。

さて、今日は久しぶりに「整体師になりたい」・・・って、思った当時の僕の目線で話をしようと思うんですけど、いまこういう仕事やりたい人います?整体師、施術家やりたい人。

人の体を改善して、どこに行っても取れないような痛みが魔法のように取れるようになって、お客さんに感謝されて「いえいえ、自分が良くしたわけじゃなくて、皆さんの体が良くなるようにできてるんですよ」って、謙遜できるような仕事ですね。

「整体師になりたい」って思った頃の僕は、当然「どうやれば整体師になれるのか」すら分かりませんでしたよ。この世界を全く知らなかった。身体の知識ももちろんゼロだしね。

今の僕は、真逆で、「この業種について知らないことはない」んですよ。新卒の頃から他人の3倍仕事してきましたからね。誰かがそうやって体を張って切り開いていくと、後の人が楽でしょ?人の身体の仕組み、どこまで良くできるか、施術業の社会的位置付け。お店の開業の仕方、自分が見るべき患者さんとどのように出会うか、施術業の現状、ビジネスとしてのあり方。

例えば、あなたの周囲では「整体院、増えたね」って言われているかもしれませんね。リラクゼーション、マッサージ屋さんも増えたねって言われてますね。でも、私から見れば全然足りないですよ。手が足りない。私、全国で診てますでしょ?見切れないですもん。それが現状です。

「整体師は、どんな人が向くか?」って、当然、「人間が好き」であることですよ。人が苦手な人は、合わないですよね。人が好きであるには、まず「自分のことが好き」じゃないと無理ですね。私のこと知っている人は「この人、自分のこと好きだな〜」って思うと思いますよ。

だって、そうじゃないと良い施術ができないこと知ってるからですね。「必要だから」そうなる。それがプロでしょ?


こんなGWの真っ只中に当ブログをご覧の皆様・・・

さてはファンですね(笑)


いま電車の中でお気に入りのMac Bookでブログを書いてます。


あら・・・



目的地に着いてしまったので、また書きます

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