人間のエネルギー講座の余談で話すお話があります。それが「天才の定義」です。

天才とは、ただ賢いのとは違います。何かに特化した才能を発揮する・・・のも、まだ天才とは言えません。

では天才の定義とは何か?それは、「モノゴトの陰と陽を同時にできる人物」です。これが正真正銘の天才です。なぜなら普通、「そんなことは不可能だから」です。
 
例えば、人が「夢を叶えよう」と行動する時、普通は、「夢が叶うビジョン」 や「そのための目標」を設定し、「夢が叶わないビジョン」を遠ざけ、とにかく前を向いて進もうとします。それすらも難しい時もあり、頑張って歯を食いしばって努力する人もいます。しかし、天才はそうではありません。
 
どうするかというと、「夢が叶うビジョン」と「夢が叶わないビジョン」の両方(陰と陽)を描き、どちらも許容することによって「両方の道に同時に進む」ということをします。しかし、普通はやそんなやり方を想像することはありません。聞いたところで、真似できません。
 
私の知る限り、(私が思うに)恐らくこれをやっていただろう希有な人物は、「パブロ・ピカソ」だけです。

I am a chiropractor.

But I studied the human energy.

Beacause I wanted to improve more my patients.

Thus I became master of the human energy.

I speak to only person who want to go to future.

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不思議な体験ばかり続いた時期がある。

ある日、僕は宮古島に行ったのだ。そこからさらに海を渡って、とある島での出来事だった。

車道からキレイな川を見つけた。海に近い河口であった。その川を渡った向こうには、真っ白で美しいビーチと楽しそうに遊ぶ少数の人々がいた。

向う岸へ泳いで渡ろうと思い、車を止めた。人気のない場所である。しかし、後ろから全く同じ二台の車が僕の後を付いてきた。

僕がたまたま車を止めた河口に、彼等も車を止めた。その車からは、喪服を着た人達が降りて来た。梅雨明け直後の日差しの下で、黒い喪服は季節外れに思えたものだ。

僕は、大抵のことには動揺しない。「散骨かな・・・」とポツリと思ったが、気にしないことにした。さて、川の向こう岸の楽園に渡ろうと思い、泳ぎ出してみた。

幸いにも浅瀬の川だったのだ。しかし、5メートルほど泳いだ時、何やら異変に気づいたのである。川が急激に深い海となった。思ったより、風が強く、波が荒い。嫌な予感がして、急遽、引き返すことにした。

川の真ん中手前で振り返り、泳いで引き返そうしたがもう遅かった。流れが速く、どんどん流される。波の力に人間の漕ぐ手は、こんなにも適わないものかと思えた。

河口から流されていくその先には、誰もいない大海が広がっていた。海は美しいが荒い波が立っており、「海に出たらもう戻れない」と察した。

岸へ泳いでも進まないため、川に流されるままの遭難状態となった。

叫んで助けを呼ぼうと思ったが、近くに誰もいない川である。向う岸にいる人は、随分と遠い。「しまった」と思った。こういうミスで事故は起こる。このまま海に流されたら、誰にも気づかれずに死ぬのであろうと思えた。恐らく、過去を遡ればここで流された人もいたことだろう。

完全な四面楚歌である。助かる見込みは何もない。

どうしようも無い時がある。できることしかできないのであるから、とにかく進まなくても全力で泳ぐことにした。当然だが全く進まない。

横殴りの波に流されていく。しかし突然、海の手前に盛り上がったサンゴ礁が現れ僕はそれに引っかかった。

そこから這い上がり、サンゴ礁を辿って川岸へ戻れた。頭が真っ白で、しばらくの間、何も考えられなかった。前かがみで息を切らしながら、楽園と思われた対岸を見たが、もう誰もいなかった。

早くそこを離れたくなり、駐車した車に向かった。先ほど一緒に停車していた喪服の人達の車は既になく、もうこの場を後にしたようだ。

彼らは一体どこへいったのだろう。

そこから離れて、しばらく車で走った。すると、小さな滑走路が見えた。そこに用事は無かったが、僕はなんとなくただ車を走らせた。

滑走路沿いの直線を走りながら、ふとバックミラーで後ろを振り返ると先ほどいなくなっていた喪服の人達の車が後ろからついてくる。

僕はウィンカーを出し、車を左に寄せ、彼らが通り過ぎるのを待つことにした。先に出立した彼らは、いつから後ろを走っていたのだろう。

左に寄せた僕の車の横を、彼らは無言で通り過ぎて行った。

その先を望まない方がいいラインがあるのだろう。僕はもう、その島を後にした。

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