2015年05月

6月14日(日)「エネルギーと愛と瞑想の会 in 大分市」を開催することとなり、地域に該当する皆様にご招待を送らせて頂きました。
 
詳細は、FBのイベントページにございますが、少し補足いたします。

よく「私達は全員生まれてきた意味がある」と耳にします。だとしたら・・・私達は生を全うするために十全に保証されているのだと私は思います。
 
しかし、それならば不慮の死、不慮の事故などの「不幸」はどうして起こるのでしょうか?それに対し、私達は諸行無常を受け入れるしかないとするなら、その解釈では不十分に思います。
 
しかし、私が突きとめたエネルギーの理屈によりますと、事実、私達は「何が起きても大丈夫」な世界にいます。ただ「何が起きても大丈夫な世界である」と言い切るには、以下のことを理解する必要がありました。
 
(1)人生のゴールが保証されていること、その理由
(2)人生の道のりが保証されていること、その理由
 
この2つを精神論ではなく、聞こえの良い話でもなく、事実認識として頭と心に落とさなければなりません。今回、その理解に至った経路を、エネルギーと愛と瞑想に乗せて、全て一貫して解説する会となります。
 
ここでお話したいのも山々ですが、文章ではお伝えしきれませんので、イベントにて皆様を新たなエネルギーのステージにお招き致します。詳細はこちらです。

(FB専用)
https://www.facebook.com/events/102351823434351/
 
それとは別に、新たな個人セッション「エネルギー鑑定」が受付開始です。今まで「整体」というものを通してエネルギーを施したり解説してきました。もちろん人の体を無視したエネルギー論など、絵に描いた餅に過ぎませんが、エネルギーというのは「整体」だけのものでは事実ありません。
 
人と対峙しておりますと、その人の内側のエネルギーの状態と、その人を取り巻くエネルギー場が立体的に見えてきます。「仕事」「家族」「パートナーシップ」「身体」のエネルギーは繋がっており、一体、自分はどういう状態にあって、何に影響を受けているのか、整体とは別にそこのチャンネルを広げて全てお伝えする「エネルギー鑑定」が正式にスタートです。http://www.earth111.com/session 


先日、世界が2つあることについて書きました。一つ目は物質の世界で、2つ目はエネルギーの世界です。物質とエネルギーは繋がっているので、どちらに重心を置いていても、お互いの世界を理解することは、「理解した者」の世界を広げることに繋がります。
 
自身のエネルギーを根本的に変えるには、エネルギーのある人間と出会うことしかありませんと言いました。ただ、一応お断りしておきますと、だからといって「私はエネルギーがある人間です」と言っているわけではありませんので、誤解なさらないでください。
 
私が出会った「エネルギーのある人間」に比べたら、私は、その人のエネルギーの「小指の爪の先っぽ」にも及びません。これは大げさな話ではなく、事実そうなのです。皆さんの中には「自分は全く持ってない」と思う人もいるのかもしれませんが、私は皆さんと一緒です。しかし、一つ違うとしたら「一緒」というものの考え方が違うのだと思います。それについて記させて頂きます。
 
前回、「大きなエネルギーに出会おうと思うなら、心の奥から渇望しなければ出会うことはありません」と書きました。しかし、どうしてこの人は、心の奥から渇望ができるのでしょう?それは、「自分にはエネルギーが全然ない。もしくは小さいということを知っている」から渇望が自然と起こります。心の奥からの渇望は、必ず大きなエネルギーの人間を引き寄せます。これは「必ず」なのです。
 
そして、ついに大きなエネルギーの人間に出会った時、当然、圧倒されます。私は、この人の小指の爪の先っぽほどもエネルギーがないと思え、そして、そういう人に出会えたことに心から喜びます。
 
もちろん、私はその人からエネルギーをもらうわけですが、エネルギーと言うのはどのように伝達されるのかという一例を述べます。
 
まず、私は、自分にはエネルギーが無いことを知っていて、大きなエネルギーの人に出会い、その人の「小指の爪の先っぽ」ほどのエネルギーもないことを痛感します。しかし、私が向き合っている大きなエネルギーは、自然ではなく、パワースポットでもなく、人間です。ということは、持てるエネルギーの量は、その人も私も「一緒」なのです。
 
ここからが重要です。
 
「その人の小指の爪の先っぽほども、自分のエネルギーは及ばないと感じた」、「その人と私は、一緒である」と感じたということは、「自分は、いま、自分の持っているエネルギーの、たかだか小指の爪の先っぽほどのエネルギーも発揮していない」と、その人によって気付かされます。その瞬間に、自分というものの認識が、足元から一気にグルンとひっくり返ります。
 
私が今までやってきたこと、私が必死で努力してきたこと、私がここまで頑張ったこと、私が全力だと思った事、今ここにいる私は、「全て、小指の爪の先っぽほどのエネルギーも使わずにやっていたのか」という事実に衝撃を受けます。しかし、心の奥から「自分にはエネルギーが無い」と思っていなければ、上記の一連の流れは絶対に起こりません。
 
これが、私が「自分はエネルギーが無い」と言いきれる理由ですし、真理です。「私は、エネルギーがあります」「人よりちょっとは、エネルギー高いと思います」「僕のエネルギーの高さを、誰かに認めてほしい」と言う人が、エネルギーがあるということは、エネルギーの世界では絶対に起こりません。

 
誰かのサポートや、社会貢献をしたいなら、自分のエネルギーを磨くべきであり、本質的にはそれ以外にやることは、ありません。
 
エネルギーというのは、例えるなら「その人の空気」であり「雰囲気」です。雰囲気を変えようと、服装や髪形を変えたり、新たな学業に励む気持ちも分かりますが、実際は、エネルギーそのものを磨くことに取り組まなければ、根本的には変わりません。飾りはすぐに崩れてしまいます。
 
エネルギーに通じる概念としては、形而上学やヨガがそれに当たると考えられます。
 
自分の人生の出来事というのは、自分が動くことで、自分のエネルギーが動き、それが外部のエネルギーとの摩擦を生み、それによって起こる現象です。
 
ですので、自分のエネルギーが変わらなければ、どれだけ動いても足元は進みません。同じ現象が形を変えてグルグルと回ります。輪廻というのは、死んでからの話ではなくて、生きながらに起きている現象です。その時、その時にいつも試されています。
 
では、どうすれば自分のエネルギーは根本的に変わるのか?というのが大切な話です。
 
それには、実に「唯一つの方法」しかありません。
よくある誤解ですが、パワースポットなどのエネルギーの高い場所に行っても変わりません。大自然のど真ん中に行っても変わりません。筋トレをしても、知識を身につけても、あらゆる刺激を受けても、変化を望む気持ちは分かりますが本当のところは変わりません。
 
唯一の方法は、「エネルギーのある人間と出会うこと」です。
 
エネルギーがある人間というのは、元気な人とか、力持ちとか、パワフルな人とか、気持ちの強い人といった「強者」ではありません。ましてや、勝気で威嚇的な人間でもありません。エネルギーのある人間がどんな人間であるかは、エネルギーのある人間と出会えた時にしか分かりません。
 
しかし、大きなエネルギーに出会おうと思うと、心の奥から渇望しなければ出会うことはありません。出会うチャンスはあるかもしれませんが、渇望がなく出会ったとしても、大きなエネルギーの人間がその人にエネルギーを明かすことはありません。だから、エネルギーを追求していなければ、エネルギーの大きな人間に会うことはありません。
 
エネルギーと言うのは、ともすれば見えません。
本当は「ある」が正解ですが、別に「そんなものはない」と言ったって構いません。エネルギーを教えている人間が、エネルギーが無いと言っても良いというのも変な話ですが、事実「ない」と言う世界に重心を置いて、生きることが正解の人もいるんです。「私達は、宇宙に生きているのか、地球に生きているのか」という問いのようなもので、そんな論争をしても仕方がありません。
 
SFのような話ですが、大胆な言い方をすると、
この世界は2つあります。
そして、眺めている限り2種類の人間がいる。
 
まず、一つ目の世界は、目に見える物質の世界であり、そこでは、物質というステージで生きるべき人達が、目に見えるものを動かして「生(せい)」を成り立たせています。この人達は、見えないエネルギーを無視して生きていても、人生の関門は開いていきます。
 
二つ目の世界は、エネルギーという世界で、そこには、エネルギーに重点を置いて生きるべき人達がいて、この人達は、エネルギーを動かすことで人生が動きます。目に見えるものを直接動かすことで生を成り立たせようとしても、うまくいきません。
 
この2つの世界は重なっているため、両者ともに両方の世界とも関わっています。問題は、「自分の人生がどちらのステージに重心を置いて運ばれているか」です。それによって、目に見えるものを動かすべきか、エネルギーを動かすべきかと言う「特性」が分かれます。
 
こういう概念を知らない場合、実は世界は2つあるということも知る由もなく、いま自分がどちらのステージに立っているかなど考えることもなく、「なんか変だぞ」「なんか合わないぞ」という混乱に遭遇し、その混乱を乗り切る答えを得ることもできません。エネルギーに生きる人間が、物質社会のノウハウに手を伸ばした所で、歯車が噛み合わないからです。実際に、こういう混乱に遭遇した人を、僕は何度も診たことがあります。
 
観察、経験上、大きくは2種類の人間(生き方)があるのですが、時に、ステージが入れ替わる人もいます。この「入れ替わる」という現象は、「本来、起きてはいけないシステムエラー的な現象ではないか」と僕は思っています。なぜなら、一人の人間の生に置いて、入れ替わりまで起きるのは、かなり酷だからです。
 
余談ですが、「物質的に生きている人間が、エネルギーを垣間見ること」は、成長の上で適正な水のやり方のように思います。しかし、完璧に入れ替わるのは、千仭の谷から突き落とすがごとくで、いかがなものかと思います。
 
さて、いま頑張らなきゃいけないのは、エネルギー側の人間です。
一先ずここで一息。

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