2016年01月


原点に帰ると、そもそも何のためにエネルギーを学ぶのだろうか? エネルギーを推奨する理由は、自身が自由になるためである。人というのは、自分の肉体の限界が自分の限界であると思ってしまう。「私の身長は低いから高い所に届かない」とか「学校の成績が良くない(つまり頭が計算を苦手とするから)私は大した人間ではない」とか「痛みがあるから不幸である」という風に思ってしまうのである。しかし、この世界におけるあなたの飛躍的向上を決めるのは「肉体」ではないのである。
 
私達が肉体だけの存在であれば「モノ」と同じである。しかし、私達はモノでもあるがモノではない。私達の中には「意識」があり、肉体にできないことでさえ私達は意識の力によって想像することができる。例えば、空を飛び、宇宙を眺め、世界の裏側を思い描くことも想像力によって可能であり、そういう「あり得ないことを想像することができる人」や、自分の思い込んだちっぽけな肉体的限界を超えて「思いもよらないことを描ける力を持つ人」ほど、「意識が高い」と表現する。つまり意識の高さは肉体の限界を超えることができる。
 
私達の肉体には「肉体を動かすエネルギー」が重なっていて、エネルギーは意識そのものである。自身の身体的、精神的エネルギーは「意識で動かす」ことができるのである。
 
そして、私達の人生における出来事は、「何が動いた結果もたらされているのか?」というと、皆さんは「頭で考えて行動すると結果がもたらされる」と思っているかもしれない。しかし、その理屈はまだ「自分が生きている世界」の「理解の入口」でしかない。
 
頭の中の考えを動かしているのはエネルギーであるのだから、自分の人生における出来事は、自分のエネルギーの程度によって引き起こされるのである。つまり、自分が「高い意識」を持っていれば、自分のエネルギーは大きくなり、 自分の人生の展開、人生観、この世界があなたに魅せる本当の姿は大きく変わる。これが、私達が生きている空間の本質的ルールである。しかし、多くの人はそれを知らないのである。2016年になり、もちろん時代は最先端であるが、現代における多くの人間の人生の認識は、まだその位置なのである。しかし、それは仕方のないことだ。なぜなら、まだまだ人間が未来に向けて進化の過程だからである。
 
もう一度、考えて欲しい。私達は「本当は何を求めている」のか?ビジネスの成功だろうか?何のために?こんな重大な話をしている時に、あなたは集客の仕方とか顧客満足度の高め方を知りたいだろうか?
 
社会の安定だろうか?何のために?こんな重大な話をしている時に、あなたは政治家のやじり合いの顛末が自分の人生の重大な成果をもたらすと考えるだろうか?
 
私達は、日々、色んな不安や恐れを抱えることだろう。何かが怖い。様々な人が自分の怖いものを挙げれば、それは際限なく書きとめらるだろう。しかし、究極のところ生きものが恐れる最大のものは何か?それは「死」である。どうして「死」を恐れるのだろうか?それは、この世界で「何もできなくなるから」である。
 
では、先ほどの質問に戻ろう。私達は、本当は何を求めているのだろうか?それは「自由」である。お金が欲しい?それは自由が欲しいからだ。政治の問題が起これば、自分が被害をこうむると思っている。私達は本当は、「私の人生における、私の自由な選択権」が欲しいと思っている。その結果、「私に自由な選択権があれば、私は自由になれる」と思う。その為、「自由」を実現するために「自由な選択権」が必要なのだと勘違いし、様々な権力を欲しがる。そしてそれを世界に求めるのである。
 
その考えの、どこに勘違いがあるのだろうか?恐らく多くの人は「自由」を欲しがればいいのに、「自由な選択権」を欲しがることが勘違いなのだと思うことだろう。しかし、それも違う。ここにおける勘違いは、「自由な選択権を他の誰かが与えてくれる」と思っていることである。「自由に選択をさせてくれないのは、誰かのせいだ」と思っている。皮肉なことに、本当のところ、その誰かは「自分」なのである。
 
例えば、あなたには強いこだわりがあるかもしれない。自分が望んでいる通りに事が運べばラッキーだと思ったり、自分の予想が当たれば自分は正しい人間であると信じ込んでいるかもしれない。では、逆が起きたらどう思うだろうか?自分の望み通りに進まなければ不運であり、自分の予想が外れたら自分は間違った人間であるかもしれないと悩む。しかしそもそも、そのように「どちらかを選択せねばならない世界」を選択したのは、他ではないあなたである。

では、現実の世界はどうなのだろうか?どちらかを選択しなければならないのが、この世界の本質なのだろうか?あなたは、「どちらを選択しなければならないことが頻繁にあるじゃないか」と思うことだろう。肉体的な性別で言えば、男か女か、昼か夜か、プラスかマイナスか、世の中は二者択一ではないかというのが、いまの時代の世界観である。しかし、それは結局のところ先に述べたように「肉体的」に物事を判断している世界観なのである。「自分の身体がいま太陽の光を浴びているから、私は、いま昼間にいる」と思う。これは、肉体から眺めた世界である。
 
しかし、私達は自分の身体が昼間に面していても、意識の中で夜を思うことはできる。つまり、意識の中では昼と夜を同時に描くことができる。「肉体が置かれている場所と、意識が置かれている場所が異なる」ということは誰にでも起こる。その時、人は妄想に駆られているのだろうか?一つだけ言えることは、私達の身体には「無駄なものが何一つない」ということである。何十億年の進化の過程で、無駄なものは全て削ぎ落されているからである。では、その能力は一体、何のために備わっているのか?
  
仮に、Aさんが昼の0時から5分間だけ夜を思い、その他の妄想に耽った時、それが5分間におけるAさんの現実である。それをBさんが妄想と指摘したところで、Aさんの脳内体験を変えることはできない。すなわち肉体的な世界観とは別に私達には「自分の意識を主体に置いた世界」がオーバーラップして確実に存在するのである。そして、それは人生に大きな影響を及ぼすことになる。
 
肉体的な世界観では、肉体の限界が自分の限界であるから「自分の能力が通じることしか現実に起こせない」と考える。そしてそれが現実となり、作られているのが今の世界である。しかし、それは抑制された世界であり、その中に自由を望んでもそこに自由はない。それを理解した上で、あえてその世界を選択して生きているのであれば良い。しかし、それに気付かずに生きていることは不自由でしかない。
 
意識に主体を置いた世界は、束縛されず「自由」に物事を描くことができる。「一時にどちらか一方しか選べない」のではなく、「常に同時に両方を選んでよい」のが意識の自由であり、それに気付かなければ、私達は自由を得ることはできない。

これは「妄想の中では自由である」という慰めのような精神論ではない。そのように意識を拡大することが自身の意識を高め、自身のエネルギーを育て、そこから肉体に大きなエネルギーが流れ、意識と肉体を含め、人生に大きな出来事を引き起こすのである。

それは、それに従って振る舞えば誰にでも起こる理屈である。それがエネルギーに着目して生きることを推奨する理由である。エネルギーに気づくことによって人間の意識は変わる。この世界の本質に踏み込んで生きる、一つの確かな道なのである。

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人間のエネルギー講座の余談で話すお話があります。それが「天才の定義」です。

天才とは、ただ賢いのとは違います。何かに特化した才能を発揮する・・・のも、まだ天才とは言えません。

では天才の定義とは何か?それは、「モノゴトの陰と陽を同時にできる人物」です。これが正真正銘の天才です。なぜなら普通、「そんなことは不可能だから」です。
 
例えば、人が「夢を叶えよう」と行動する時、普通は、「夢が叶うビジョン」 や「そのための目標」を設定し、「夢が叶わないビジョン」を遠ざけ、とにかく前を向いて進もうとします。それすらも難しい時もあり、頑張って歯を食いしばって努力する人もいます。しかし、天才はそうではありません。
 
どうするかというと、「夢が叶うビジョン」と「夢が叶わないビジョン」の両方(陰と陽)を描き、どちらも許容することによって「両方の道に同時に進む」ということをします。しかし、普通はやそんなやり方を想像することはありません。聞いたところで、真似できません。
 
私の知る限り、(私が思うに)恐らくこれをやっていただろう希有な人物は、「パブロ・ピカソ」だけです。

I am a chiropractor.

But I studied the human energy.

Beacause I wanted to improve more my patients.

Thus I became master of the human energy.

I speak to only person who want to go to future.

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