僕は、大して小説を読まない。

もちろん、「本の虫」と言われるほど、本は沢山読んできたが

殆どが実用書だった。


しかしながら、少しは小説も読んだことがある。


その、少しばかり目を通した著者たちの中で

最もエネルギーを感じた小説家は「スティーヴン・キング」だった。 

ホラーが特別好きというわけじゃない。

それに一冊一冊、丁寧に読んだわけじゃない。


ただ、あの「レンガのように分厚い本」に破壊力を思う。

実際、あの本でどつかれたら、頭がショーシャンクの空に

なりそうである。


表紙からしてトップスピードで走り出し、

それでも燃焼しきれないバイタリティに

「人間の底力」を感じるのである。

・・・

僕も、昔からよく「書きもの」をやっていた。


ただ、自慢ではなく、自分の客観的な特徴として述べると

僕は動きと変化の早い人間である。


そのため、過去、書いた物はすぐに「自分らしくなくなる」。

だから、昔のブログは、殆ど消してしまった。


しかし、僕が消した後に、あるクライアントさんが、

全て印刷して所持していることが分かり、その方が

わざわざ冊子にしてお届け下さったので、

消したはずのものが手元に戻ってきた。

(自分では読み返すことはないが・・・)


それとは別に、出版も製本もしていないが、

忘れない内に、「どのようにしてエネルギーを解読していった」か、

その数奇なデキゴトを記した原稿もある。


・・・・しかし、それらの原稿も、ブログもFBも、

僕が見ている景色の要所、要所を記しているに過ぎない。 


僕の日常は、エキサイティングでスリリングで、

いつも新しい出来事に溢れている。


新しいことを求めているわけじゃない。

新しいことが自然と起こるというのが本来の人生の

在り方であって、その軌道に乗っているだけなのだ。

・・・

一枚の絵が、一枚の絵に見える方もいるかもしれないが

僕は、一枚の絵に何重ものエネルギーの重なりを見る。

つまり、目に映る景色が、常に「幾重にも重なった協奏曲」であるから

そこから読みとれるものは、一体、「何テラバイト」の

情報量か分からない。
 

スティーヴン・キングほど、凶器に溢れた筆談能力があれば良いが

それが本職ではないから間に合わない。


口頭で話せばよいかと思われ、講演会やCDも出しているが

限られた時間では、語り切れない話があり、

非常にマニアックな角度で質問されなければ、

口にもしない話も多々あり、出力が追いつかないのである。

・・・

出会う人が、僕の引き出しのドコを開くかによって

その人の「曲者度合い」が分かるのである。


・・・


人間と言うのは、「納得していないこと」ほど

よくしゃべるものである。

私もエネルギーの研究過程では、よくしゃべっていた。


しかし、もうエネルギーの研究も終わり、

「謎」と思われているものの

「答え」に行きついてしまった。


つまり様々なことに納得してしまったのである。

結果、口数も少なくなってきた。

今後、益々そうかもしれない。


スティーヴン・キングが、どのように小説を書いているのかは

知る由もないが、彫師が木を削るように、一日中しゃべらずに

黙々と書ける日がくれば幸いである。