前回、話し切れない話について書いた。

その状況で、唯一、本当の話をできる場というのが

私が教える「人間のエネルギー講座」の場であり、

全力で話せる相手というのは、受講生だけである。


日頃の施術において、クライアントには必要な話をする。

それは授業ではないからだ。


・・・

ある種の師(マスター)というのは、

まず、何かの技術を極めなければならない。


そして、次に人に教えるわけだが、今度は、

「優れた弟子」に恵まれるかどうかという課題が生じる。
 

これは大きな課題である。

ある師は、「十年教えて、一人本物が育つかどうか」

という寛大な構えを持つ。


もしかすると、一生掛かっても、優れた弟子に

出会えないかもしれない。

そういう師も沢山いることと思う。

師は、優れた弟子が現れて、初めて師となるのかもしれない。


・・・

しかし、実は私の場合、とても幸運なことに、

早くも優れた本当の弟子が現れてしまった。
 

なんと有り難いことだろう。

私は、その優れた弟子が登場した時に、

その余りに素晴らしい出来事に、

言葉にすることも、眼が冴えて眠ることもできなかった。


それもその生徒は、全くの初心者だった。

それが、10年以上の施術経験者を驚かす施術を

やってのけるのである。


「いつか私を超える人が現れてくれれば・・・」と

私は、その課題を10年も20年も待ち焦がれることは

なかったのである。こんなことがあるだろうか。

・・・

ある師の書には、こう記されている。


それは、「一体、誰に学べば良いのか?」という問いだ。

人が師を求めるほど、偽の師が現れるという。


師は偉大であるが、どうして「偽の師」が現れるのか?

という下りであった。それはこう書いてある。


「どうして偽の師が現れるのだろうか

 それは、私達の責任だ。

 偽の弟子の市場が拡大しているので

 偽の師の市場も拡大するのだ」 


その通りだと思う。


師と弟子の関係は、優れた弟子によって

成立するのだと思う。