人生における「必然痛」というものがある。 

その痛みは怪我かもしれないし、病気かもしれないし、原因不明かもしれない。

身体を通じて、私たちは学びます。一生に一度も、怪我や病気をしない人間はいないんです。

人生の必然痛というものは、どういうものかと言うと「あなたが、その痛みの原因に気付かなければ、取れることのない痛み」であり「人生において、人間として成長しなければ取れない痛み」である。

あなたは痛みがあることを「おかしい」と思う。その痛みは、本来はあってはいけないものだと思う。しかし、身体は「正しく痛みを出している」のが本当で、痛みが出ている身体をおかしいと思うあなたの方が、何かおかしいのかもしれない。そのようにして、身体はあなたの思い込みと現実のギャップを埋めるための何かを伝えようとする。

施術をしていますと、この「人生の必然痛」というものを相談に来られる方がいる。施術家は、「これは必然痛であるな…」と、そういうことも見抜けなければいけない。その人が「思っている自分」と「本来の自分」がズレている時に、こういうものが生じやすくなる。また、自身の成長に努める人であれば、自分を一歩進めるためには「今までの調子」ではいけないわけであるから、調子がガクッと崩れることがある。その時に「普段の調子に戻そう」というのは愚の骨頂ということになる。重々、理解しなければいけない。

例えば症例としてよくあるのは、自分の内側に「実はズルい自分」とか「実は文句ばかり言っている自分」とか「他人に対して攻撃的な自分」とか、いわゆる「悪い側面」が居るとする。

そういうものがあるから、人間は成長していかなければならないのだから、それらがあること自体は成長段階としては仕方がないことである。

しかし、そういう自分を認めずに、ごまかしたり、そのために嘘をついたり、誰かのせいにしたり、人前でコロコロと態度の裏表を婉曲させていると、その行為が人生における過剰なストレスとなり、自身の身体や精神に痛みや苦しみを生じることが多々ある。

このような、自分の人間性により生じる痛みというのは、本人が「そういうことをしてはいけない」「それは、正直な自分ではない」「なんだか人として後ろ暗いことである」といったことに気付かなければ取れない。それを続ける限り「自分の人間性が生み出している痛み」は止むことはない。

クライアントの相談に乗っていて、そのような必然痛であることに気づいた時、どのように対応すべきであるか?

知っておかねばならないことは「その人の代わりになってあげることなどできない」ということで、クライアント自身が人生の課題をクリアしなければ意味がなく、解決もしない。

そこでせめて出来ることは、そういう因果によって痛みが生じているというエネルギー循環のメカニズムを教えることだが、そういう指摘こそ「本人が最も指摘されたくないこと」であることがよくある。そのため、様々な方法で話をごまかそうとしたり、酷い場合には、そういう耳が痛い指摘をする人の悪口などを言って逃げて行ってしまったりする。その結果、その後も、その苦しみは終わらないという事例が殆どである。

指摘されると最も響くのは、その人の人間性の中にあるしこりであるから、その人にすれば非常に効くツボになっている。指摘されたことを認めてしまえば、後で考えれば「なぜあの時、あんなに指摘されることが嫌に思えたのだろうか?」と不思議に思えるような過ぎたことになるのだが、それは、その人が、人生においての自身の人間性を向上させなければクリアのできないことである。

よって、その人の人生自体がその人に仕向ける必然痛というものがある。それを、治療家や施術家もそうであるが、多くの人は知っておいた方が良いと思える。

高いところから言っているわけではなく、私自身にも起こることであるから、真摯に受け止めていくことが最も着実に解決する道であり、そこからは真に大切な気づきが得られることは間違いない旨を申しているのである。